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心はすっかり日本人

[2013年11月号掲載記事]

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オスマン・ユーラ・サンコンさん

「来日して40年経ちました。47都道府県全てに行きましたし、日本人に『私より日本のことに詳しいですね』とほめられますよ」と、流ちょうな日本語でオスマン・ユーラ・サンコンさんは話します。サンコンさんは日本でテレビのバラエティー番組やCMに出演して有名になりました。今はイベントや講演会に出るために、日本全国を忙しく飛び回っています。

サンコンさんは1949年にギニアのボッファ県に生まれました。頭上を飛ぶ飛行機を眺めて、パイロットになりたいと夢見る少年でした。当時のギニアでは進学しない子どもが多かったのですが、サンコンさんは教育熱心な両親の勧めで首都にあるコナクリ大学に進学しました。そして約1万人が受けた試験で1番になって、フランスへの国費留学の奨学金を勝ち取りました。

パリのソルボンヌ大学で経済政治学を学んだサンコンさんは、ギニアに戻って外交官になりました。すると、「日本へ行きなさい」と命じられました。ヨーロッパを中心に学んできたサンコンさんには、アジアや日本についての知識が全くありませんでした。「経由地のビルマ、ベトナムを見て、『ギニアより発展が遅れている。この先にある日本はどれほど遅れた国だろう』と心配になったほどです」とサンコンさんは笑います。

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外交官時代

しかしサンコンさんを待っていたのは、高層ビルが建ち並び、車がたくさん走っている日本でした。「私を乗せた車が高速道路へ入ったときはびっくりしました。建物の3階と同じ高さを車が走るのですから」とサンコンさん。「それに丸の内のビルは夜でもいつもどこかの窓に灯りがついていました。日本人はよく働くのだなと、日本が成功した理由を知りました」。

外交官の役目を果たすために、サンコンさんは急いで日本語を勉強しました。「数年間で別の国へ転勤になってしまいますから、漢字を覚えている時間はないと判断しました。それでローマ字を使い、ひたすらよく聞いて、聞いたままに発音しました」。また、教えられた単語を書きとめて手製の辞書をつくったり、一日二つずつ単語を覚えたりしました。

その後アメリカへ転勤となり、さらにギニアへ帰国しました。しかし長男が生まれるとき、外交官の仕事を休職して再来日しました。「そして64歳の今でも休職したままになっています」とサンコンさんは笑います。

なぜなら、子どもが生まれるまでの短い滞在のつもりが、テレビで活躍することになってしまったのです。「あれがオーディションだなんて、知らなかったんですよ」とサンコンさんは言います。日本ギニア友好協会の人に、ギニアの広報のためと言われてテレビ局へ行きました。そこにはたくさんの外国人がいました。事情を知らないサンコンさんは、素直にいろいろと話しました。すると「おもしろい人ですね!」とバラエティー番組に採用されました。

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テレビに出ていた頃

「もともと、私のオフィスにはいつも人が集まってきて、にぎやかだったんですよ」。明るくてユーモラスなおしゃべりと、日本語など6ヵ国語を話す高い知性とのギャップが話題となって、テレビによく出演するようになりました。「当時、他に黒人のタレントがいなかったから、目立つことができました」と言います。

番組の中には「暗い場所でサンコンさんを探す」など、黒い肌をジョークの種にするものもありました。「差別だとか、外交官がそんな番組に出ていいのかと言う人もいました」とサンコンさん。「でも私は肌の黒さにコンプレックスがありませんから、何を言われても平気でした。それにみんなのジョークには愛情がこもっていましたから、私も番組を楽しめたんですよ」。

サンコンさんの活躍は、他のアフリカ出身のタレントに道を拓きました。今では日本のテレビで黒人のタレントを見ることはめずらしくありません。一方で、サンコンさん自身は最近はあまりテレビに出なくなりました。今は講演や福祉活動に力を入れているのです。

「ギニアではまだまだ教育が遅れています」とサンコンさん。「小学校に行くために半日歩かなければならない子どももいます。それでボッファに小学校を建てました。孤児に文房具を贈る活動もしています。もらった子どもたちは本当に大喜びするんですよ」とサンコンさんは話します。また、日本の自治体などに協力してもらって、消防車や農業用の機械もギニアに寄付しました。

サンコンさん自身の経験も、福祉に関心をもつきっかけになりました。「私は子どものとき足を骨折したことがあります。ギニアの医者は治療が下手だったので、足が不自由になってしまいました。母が何年間も毎日マッサージしてくれましたがだめでした」。母親がとしをとったとき、サンコンさんは日本に呼んで目の手術を受けさせたり介護をしました。

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介護施設訪問

そのうちに、介護施設の園長をしている知人から「介護の勉強をして、ヘルパーの資格を取ってみたらどうですか」と勧められました。そこで施設で車いすを押したり、高齢者を入浴させたりという実習を積みました。「おむつをはいて一晩過ごすという体験もしました。試験勉強では漢字がいちばん大変でしたね」。努力のかいがあって2級に合格し、今は介護施設を訪れて、演歌を歌ったりして高齢者を楽しませる活動もしています。

東日本大震災のときには、被災地へボランティアに行きました。「被災者がきちんと列をつくって食べ物をもらう順番を待っている姿を見て感銘を受けました」。このように長年のギニアと日本での福祉活動が認められて、サンコンさんは今年7月、外務大臣から表彰されました。「肌は黒いけど、心はもう完全に日本人です」とユーモラスに言います。「日本人の義理や人情は本当にすばらしいです。この40年でそれらが薄れてきていると感じるので、講演でその大切さを呼びかけ続けていますよ」。

オスマン・サンコン公式サイト

文:砂崎良


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