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日本映画と私

[2012年1月号掲載記事]

私は、アメリカ・ミシガン州アナーバーに住んでいた1971年、日本映画に初めて興味を持ちました。運良く黒澤明の「七人の侍」と小津安二郎の「東京物語」を見たのです。そして、日本が素晴らしい監督と俳優で素晴らしい映画を作っていると知りました。

三船敏郎、志村喬、原節子、笠智衆は、人間のある種の理想像を、演技の中で申し分なく体現しました(三船敏郎の大胆さ、志村喬の知恵、原節子の献身、笠智衆の寛容)。これだけの限られた知識から、私はそうした作品を作り出した国を理想化し始めたのでした。

1975年に来日したとき、私はまだ黒澤明と小津安二郎の大ファンでしたが、すぐに、志村喬演じる侍のリーダーや原節子の戦争未亡人--どちらも他人のために気高く自らを犠牲にしましたが--そんなものは時代遅れだとわかりました。私が出会った日本の若者は個人主義的な同世代のアメリカの方に、より共感していました。多くの人が大都市の楽しさを味わいたがり、日本を超えて何か世界を見たいと思っていました。社会が望むような学生やサラリーマンや主婦になりたがる(あるいはそれに甘んずる)ものの、同時に昔の世代のようにわがままに、自分自身の人生を生きたいとも思っていました。

5年間、日本語を勉強しましたが、字幕なしで日本映画を理解することは、特に時代劇は難しかったです。黒澤明の「影武者」の台本を先生について勉強し、見なれない単語を調べましたが、劇場で見たとき、封建時代の言葉遣いで、私と登場人物の間にベールがかかったようでした。

ベールが取れた映画は伊丹十三の「お葬式」(1984年)でした。厳しい目線ながらもおだやかなこのブラック・コメディーは、私の理解できる日本語で作られていました。私の周りに見るタイプの人々の話であり、誘惑や自由の中で、人間的に誤りに陥りがちな現代社会の人々です。中年の主人公が適切な葬式のエチケットを学ぼうと手順ビデオを見ていたり、長い時間正座をしたせいで、参列者の足がつるところは、笑っただけでなく同情しました。理想的な人間ではなくて私の知る本当の日本の姿でした。

その後、伊丹十三の新作全てを見ただけでなく他の監督たちの作品も見ました。現代日本の生活の、リアルで(または現実離れした)面白いものを撮った監督たちです。たとえば森田芳光(「家族ゲーム」1983年)、大林宣彦(「北京的西瓜」1989年)、相米慎二(「台風クラブ」1985年)、塚本晋也(「鉄男」1989年)、滝田洋二郎(「木村家の人々」1988年)。黒澤明と小津安二郎は私を日本映画のファンにしてくれて、伊丹十三とその同世代の監督たちは、まだ日本映画は見る価値があると思わせてくれました。

それは1980年代の英語メディアにおける、日本映画についてのライター間の共通した見方とは違いました。これら批評家たちの一致した意見は、日本映画は急速に低下しているということでした。新作映画への反応はいつも怒りからあざ笑うものまでありました。私は最新のアイドル映画については悪い批評も理解できましたが、と同時に、こうした批評は黄金時代へのノスタルジーで心が狭くなっているとも思いました。私は黒澤明は伊丹十三よりもすぐれた監督だと思いますが、伊丹十三のいい作品にはバブル期の現実--そして不条理--があります。これは称賛に値します。

そこで、「ジャパン・タイムズ」で日本映画の批評をするチャンスをようやく手に入れたとき、最初に選んだのは「バカヤロー!2 幸せになりたい」(1989年)という、森田芳光監督の3部作のコメディーでした。大作ではありませんが、現代日本人について、真実をおもしろく表していました。特に登場人物がストレスからタイトルの言葉を大声で叫ぶシーンです。

これまでに、伊丹十三とその仲間たちのおかげで、日本人が何を言いたいのか感じているのかを、より深く理解できました。古典的日本映画は私の永遠の着想の源ですが、現代映画は今の日本を教えてくれるものなのです。

文:マーク・シーリング


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