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[2015年4月号掲載記事]
201504-7
永谷園
お茶は日本の歴史と文化に関係の深い飲み物で、たくさんの種類があります。このうち、今日でも広く飲まれている煎茶は株式会社永谷園の創始者となる永谷宗七郎さんが江戸時代(17~19世紀)に発明しました。つまり、永谷家はもともと製茶業を営んでいたのです。やがて煎茶は欧米各国に輸出されるようになり、生糸と並んで日本を代表する商品となりました。
10代目の永谷嘉男さんは1952年、家庭でおいしいお茶漬けが簡単に食べられるようにと父の武蔵さんと一緒に「お茶づけ海苔」を開発しました。お茶づけ海苔は刻み海苔、調味粉、あられを手作業で合わせたものでした。アルミ箔もポリエチレンもない時代なので、海苔が湿気ないよう袋を二重にし、底に石灰を敷いたびんに100袋ずつ詰めました。
お茶づけ海苔は順調に売り上げを伸ばし、全国的なヒット商品に成長。嘉男さんは発売翌年の1953年に株式会社永谷園本舗を設立しました。嘉男さんはその後も「松茸の味お吸いもの」「さけ茶づけ」「あさげ」「すし太郎」など、今日でも店頭に並ぶロングセラー商品を続々と生み出しました。
1979年、ある開発担当者は同社初の「ぶらぶら社員」に選ばれます。嘉男さんは「出社は自由。経費も無制限。報告も不要。食べたいものを食べて、2年後に結果を出
せ」と命じました。ヒット商品を次々に作った嘉男さんは「良いアイディアが浮かぶのは、机に向かっている時だけではない」と考えていたからです。
開発担当者は命令に従い、国内外をくまなく食べ歩いて新商品のアイディアを探し続けました。2年後、「中華スープ」と「春雨」を組み合わせた「麻婆春雨」を送り出すことになります。麻婆春雨はそれまで世界のどこにもなかった中華おかずの素として大ヒット。商品と共に、この料理自体も全国に広まっていきました。
2003年には食物アレルギーに配慮したA-Labelシリーズが生まれました。開発中には、卵や乳、小麦を使わずに同じ品質を保つのは困難という声もありましたが、苦労の末にレトルトカレーとふりかけを販売。「こういう商品を待っていました」「これからも増やしてください」という母親の声が予想以上に多いため、この分野の商品開発、普及活動に力を注いでいます。
現在はお茶づけの新しい食べ方を提案するプロジェクト「日本の上に何のせる?」を行っています。米、お茶、海苔など、日本を代表する食材でできているお茶づけを、日本に例えました。「お茶づけカー」が日本各地をまわり、それぞれの名産品を取り入れたレシピを紹介しています。
株式会社永谷園
文:伊藤公一

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