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[2014年7月号掲載記事]
201407-8
クロネコヤマトの宅急便
ヤマト運輸株式会社は1919年、東京・銀座で4台のトラックを保有する自動車輸送専門会社として誕生しました。ヤマト運輸といえば「クロネコヤマトの宅急便」というキャッチコピーが有名です。黒い母猫が子猫をくわえているマークは日本のあちこちで見られます。「宅急便」という言葉は広く知られていますが、登録商標なのでヤマト運輸にしか使えません。
ヤマト運輸は1976年、民間企業として初めて、個人向けの宅配事業を始めました。そのサービスの名前が宅急便です。1970年代前半まで、日本の運送業は企業の貨物の輸送が中心でした。個人の荷物輸送は4~5日もかかっていました。そこで、当時の社長小倉昌男さんは「電話一本で集荷」「翌日配達」というサービスの仕組みをつくり上げました。
小倉さんは宅急便のサービスを始めるとき、全国に営業所をいくつつくればよいのか思い悩みました。その結果、当時の日本全国の警察署の数である1,200を参考にしました。「警察は地域の治安を守るのが役目。ヤマトの営業所も同じ数があれば、そこに住む一人ひとりに役立つはず」と考えたのです。現在の営業所は約4,000ヵ所あります。
宅急便のアイディアとサービスはすぐに評判となり、多くの人が利用するようになりました。ヤマト運輸が現在1年間に扱う宅急便の荷物は約16億個です。一般的なサイズのミカン箱(高さ30センチ)を同じ数だけ積み上げると、月まで届いてしまう高さになります。
宅急便の手軽さや便利さが知られるようになると、単なる宅配だけではなく、他のサービスを付け加えることはできないだろうかという声が社内で高まりました。こうして1983年に始まったのが「スキー宅急便」です。もともとは、リンゴのシーズンが過ぎると極端に落ち込む荷物量を何とかして増やしたいと考えた長野県の社員のアイディアでした。
冬のある日、国道を見ると、スキー板をたくさん積んだバスが走っていました。その光景を見た社員は「あれを運べばお客様に手ぶらでスキーを楽しんでいただける。リンゴに代わる新しい荷物にもなる」と考えました。こうして、宅急便とレジャーを結び付けたサービスの第一弾が動き始め、たちまち全国に広がりました。
ヤマト運輸はその後も「ゴルフ宅急便」「クール宅急便」「空港宅急便」など、利用者にとって便利な新しいサービスを業界に先駆けて次々に開発。また、東日本大震災時には、大きな被害を受けた岩手、宮城、福島の各県に「救援物資輸送協力隊」を置いて救援物資の輸送にあたるなど、社会貢献活動にも力を注いでいます。
ヤマト運輸株式会社
文:伊藤公一

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