日本をより理解するための傑作記事(ひらがなタイムズ誌面より)
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日本のプロ囲碁界で活躍するアメリカ人棋士

マイケル・レドモンド九段

世界中に数あるゲームの中で、最もルールが簡単でありながら奥が深く、一生をかけても極められないゲームが囲碁だといわれている。碁盤に白と黒の碁石を二人で交互に打つ思考ゲームだ。自分の囲った陣地の広い方が勝ちとなる。

碁は、日本、韓国、中国、台湾などアジア諸国で人気だ。そんなアジア色の強い環境の中、米国出身のマイケル・レドモンドさんは、プロ棋士として日本のプロ囲碁界で活躍しているばかりか、NHKのテレビ番組で囲碁解説もしている。流暢な日本語による格言を用いた解説は好評だ。例えば、「厚みに近寄るべからず」などの格言で、攻略法を説明する。

カリフォルニア州サンタバーバラで生まれ育ったマイケルさんは、父親の影響で10歳の時に碁に出会い、その虜になった。13歳の夏休みには、日本を訪れる機会を得た。1976年当時のアメリカでは、碁を楽しむ人の数も少なかったが、日本ではすでに、プロ棋士を養成するシステムが確立されていた。

マイケルさんは日本滞在中、「もっと強い碁打ちと対戦するためには日本に住まなければ」という強い思いを抱いた。サンタバーバラに戻った時には、心は決まっていた。「来年の夏休みにもう一度日本へ行く。今度は戻らない」。両親はあっけに取られたが、マイケルさんはサンタバーバラで中学二年を終えたところで、日本へ再来日を果たした。

14歳で成田空港に降り立ち、その足で東京・市ヶ谷にある日本棋院へ直行した。早速、棋院の院生となり、両親の友人が紹介してくれた中野のある家に居候させてもらうことになった。自ら区役所へ行き、中野の中学校へ編入する手続きを取った。日本語も不自由なアメリカ人少年は、生来の度胸で異国での新生活を始めた。

最初の数週間はただ黙っていたが、日本語漬けの毎日を送るにつれ、日本語をどんどん吸収していった。さぞ苦労を重ねたのでは?とたずねると、「クラスメイトはいい子たちばかりで、楽しかった。苦労とは思わなかったですね。すべての経験が自分のためになるから」とマイケルさんはとても前向きだ。

平日は学校、週末は棋院に通い碁打ちの訓練という中学生活を終え、大枝雄介九段の門下生となり、プロへの厳しい修行が始まった。本を読んでも、何度打っても、壁にぶつかることも多かった。

しかし、マイケルさんは「碁が打てればそれで幸せでした」という。高校へは進学せず、碁一筋の人生となった。18歳で初段となり、2000年に九段となった。その間にもいくつかのタイトルを獲得し、外国人棋士としては異例の速さで昇進した。

1993年、マイケルさんは母国アメリカの子供たちが気軽に碁に親しめるように、インターネット上で碁のトーナメントを設立した。遠隔地に住む同年代の子供同士が予選で競い、そして最終戦に進む。優勝者には「レドモンド杯」というトロフィーを授与する。発案や組織の運営、トロフィーの授与など、最初から一貫してマイケルさんの母、ノニーさんが中心となって行っている。ノニーさんは碁を打たないが、レドモンド杯を通して子どもたちへの囲碁普及に貢献しているという。

1990年、彼のセミナーに指導員として参加した中国人女流棋士と出会い結婚した。現在、二児の女の子を持つ家庭のパパだ。「娘たちの腕も一緒に碁を楽しめるくらいにはなってくれた」と嬉しそうに話す。

碁は、ゲームがどのように展開していくかを読まなければならない。高度な集中力と知能を必要とするが、マイケルさんの頭の中には常に碁盤がある。「自分だけの碁を創造しなければならない、永遠に終わらない自己実現の世界なのです」。マイケルさんは、盤上の小宇宙に潜む無限の可能性を一途に追っている。

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