日本をより理解するための傑作記事(ひらがなタイムズ誌面より)
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キリストは日本にいた――青森にあるキリストの墓は本物か?

1935年は世界史の中で興味のある年だ。アメリカではベーブ・ルースが714本目のホームランを打ち、アドルフ・ヒトラーがベルサイユ条約を破りドイツを再軍備すると発表して、ヨーロッパでは暗雲が垂れこみ始めた。日本では小さな出来事が起きていた――神主の武内巨麿が1900年前の古文書を発見し、それにより日本の歴史家、鳥谷播山が青森県戸来という寒村でキリストが永眠する墓を発見した。まじめな話である。

現在はその文献は消えてしまった――公にするにはあまりにも物議をかもし出すといわれ、密かに東京に移された。その後、第二次大戦の混乱でなくしてしまったのは明らかだ。しかしながら、戸来の伝説は生きている。今日では年間およそ3万人の観光客がキリストの里伝承館や毎年行われるキリスト祭りに魅せられ、今は新郷村と呼ばれるこの村を訪れる。

クリスチャンの教えによると、キリストはゴルゴタの丘の十字架上で亡くなったが、人間を罪から救うために三日後によみがえった。青森の伝説では全く違う話となる。十字架上の男はキリストではなく、あれは弟のイスキリだというのだ。

弟を十字架上に残し、エルサレムを逃れたキリストは、ロシアとシベリアを横断し日本の北部に落ち着いたといわれる。そこで彼は米作り農夫になり、結婚して家族を持ち、そして114歳(話の出所により106歳とも111歳とも)の高齢で亡くなったと伝えられている。ばかばかしい? 確かに! しかし、この話はさらに奇怪なものになる。キリストがエルサレムから逃げたときは、日本へ戻るところだったというのだ。

伝説によると、キリストは21歳のときボートで日本へ初めてやって来た。日本海沿岸の橋立港に上陸し、越中地方(現在の富山県)に定住したという。キリストは、越中では偉大な師匠の元で学び、それから11年後にユダヤに戻り、「聖なる日本」で得た新しい知識を広めたと語られる。伝説では、彼を死に至らしめたのは、日本の不思議について故郷で説教したからとなっている。

この伝説は答よりも疑問を抱かせる。キリストが十字架に磔にされていなかったのなら、なぜ村にある彼の墓に十字架の印があるのか? どのようにしてこんなに遠い場所まで旅をしたのか? 1935年に竹之内が文献を発見するまでどうしてこの話が全く見落とされていたのか?

これらの疑問がまだ解けない理由はありうることだ。なぜなら日本でのキリストの話は単なる物語だからである。それでは、この物語はどのように始まったのだろうか? それに答えるには、戸来のことが初めて新聞に取り上げられた1935年ごろの日本の政治情勢を見る必要がある。

1930年代中頃の日本は、過激な軍国主義のイデオロギーに駆り立てられていた。西洋の同盟国ナチスドイツのように、自国民族の優越性を証明することに多くの労力を費やしていた。このような情勢下のもと、鳥谷のような愛国主義の歴史家たちが、自分たちの主張を裏付けるために歴史の書き換えを始めた。戸来の話だけが彼らが伝えたプロパガンダのほら話ではない。

キリストの墓を見付けた翌日、鳥谷はそこで大きな7つのピラミッドを発見した。都合よく崩れたが、観光客が信じるように小さな塚が残されていた。鳥谷と同時代の人達は、石川県にあるモーゼの墓や、日本の天皇から直接十戒とダヴィデの星を賜ったなどの不思議な話を発表している。もちろん全くナンセンスなことだが、振り返ってみると、ヒトラーの宣伝啓蒙運動大臣だったジョセフ・ゲッベルスが用いた宣伝はかなり成功した。

確かにキリストがサンダルで凍てつくロシア北方の荒野を渡ってきたという考えは、水をワインに変えたという聖書の説明や聖母受胎の着想の域を出ないが、戸来の伝説を払いのける論争も起きていない。

日本におけるキリストの話は、単なる日本の帝国主義者の過去の面影に過ぎない。その話は信憑性に欠けているので、石原慎太郎のような愛国主義者でさえもおそらくちゅうちょするであろう――おそらく。

文:ロブ・ゴス

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