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世界を感動させたオリンピック秘話

城戸 俊三

オリンピックはスポーツ最大のイベント、そして金メダルを取ることは出場者最大の名誉であることはいうまでもない。その金メダルにまつわる感動的な物語がある。それは、1932年に開かれた第10回ロサンゼルス大会の馬術競技でのことだ。

このオリンピックの馬術競技といえば日本人は、「バロン西」と呼ばれた西竹一の名を思い浮かべる。西は大賞典障害飛越個人種目で金メダルを獲得した。優勝した西はその13年後に太平洋戦争で硫黄島 へ赴任した。西がいることを知った米軍は「世界は君を失うにはあまりにも惜しい」と投降を呼びかけた。しかし、西はそれに応じず愛馬「ウラヌス」のたてがみを身に付け戦い、帰らぬ人となった。

その馬術競技で西以上に世界の人を感動させた日本人選手がいる。耐久種目競技に出場した城戸俊三だ。この種目は32.29kmのコースに50の障害が置かれている山野を駆け巡るという過酷な競技だ。愛馬「久軍」で最初からリードを奪った城戸は、全コースのほとんどを走り終え、最後の障害物を残すだけのところまでやってきた。金メダルは目前だった。

愛馬を選んだ決断に賞賛
ところが、ここで信じられないことが起きた。城戸が突然、馬から下りたのである。このとき 久軍は馬齢19歳、人間で言えば70歳ぐらいだった。その全身から汗が吹き出し、息が切れそうだったのだ。しかし、この情況では、騎手がむちを入れ、馬に最後の力を振り絞らせるのが普通である。久軍がそれに応える可能性はあった。

無理をして障害物を飛べば、久軍は死んでしまうかもしれない。そう思った城戸は金メダルの獲得より、愛馬の命を選ぶ決断をした。久軍は城戸に体をすり寄せた。まるで謝るようなその光景を見た観客や審査員は涙を流したという。城戸は後にこう語った。「自分は馬の使い方が下手だとつくづく感じた。久軍には気の毒なことをした」と。

アメリカの人道協会は、城戸の愛馬精神を讃えて、銅版の記念碑を制作した。そこには、「彼は、大きな
栄光の喝采ではなく、小さな慈悲の声を聞いた」と書かれている。アメリカに保管されていたその記念碑と鞍は現在、秩父宮記念スポーツ博物館(東京)に展示されている。城戸の感動的な愛馬への行為は、金メダル以上の光で今も輝き続けている。

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