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| 刀と生きるカナダ人 刀鍛冶見習いナドー・ピエールさん 一人の外国人にこれほどまで興味を抱かせる日本文化とは一体何なのか――自分が選んだ職業を探求し、成功するために、普通の人にとってあたり前のものすべてを捨ててまで――。 「私が偶然に刀鍛冶の技巧を見つけたのは、2002年に友達と岡山県へ旅行に行ったときでした」と、語るのはカナダ人のナドー・ピエールさん。日本文化に直接ふれたいという願望から、その年、日本へやってきた。かつて本で読んだ日本の刀研磨師のことを思い出し、伝統的な刀鍛冶の地場を探すよう友達に頼んだ。実際は、そのような仕事についている人が今もいるとは信じていなかった。 彼らはその一人を見つけたばかりでなく、翌日その人に招かれ、その鍛冶の現場を数時間見学できた。「彼は黙ってゆっくりと働いていました。そして、火の息づかいだけが聞こえました。心の平安と集中力で自分の仕事にのめりこんでいる彼の姿に、私は完全にとりこになりました。スローペース、火、赤く熱い鉄、隔離された田舎、日本の刀の素朴さ、エレガントな美しさと力強さに惹かれました」と、ピエールさんは回想する。 刀鍛冶の魅力にとりつかれたピエールさんは、2004年の夏に再び来日、数名の鍛冶師に会って話をした。ピエールさんが弟子入りを申し込んだ相手は、約2年間連絡を取り続けてきた鍛冶師の清田次郎國悦さんで、その希望はかなえられた。2005年12月、ピエールさんは日本へ移り、清田さんの下で修業が始まった。 概して、刀鍛冶見習いは週に6〜7日働く。日の出前に起き、遅くまで学ぶ。「最初の3年間は炭を切るだけ、続く5年間は師匠のかわりにたたくだけです」と、ピエールさん。「今は事情が違います。私の仕事は、鍛冶場やその周りをきれいにすることと、師匠が働くためのすべての準備をすることです。つまり、掃除、バケツの水の取替え、炭運び、道具を磨く、などです」と説明する。 弟子が学ぶのは、師匠の教えからではない。「師匠と弟子の関係は、父と息子の関係に等しいものです。個人的なもので、一生続きます」と、ピエールさんは語る。「教師と生徒の関係ではありません。師匠から教えてもらえると期待してはいけません。師匠と一緒にいる間、いかに多くの知識を吸収できるか、それはむしろ弟子にかかっています」。師匠というのは職人で、弟子は師匠の側でじっと観察し、手伝いをする人なのだ。 ピエールさんはこう語る。「刀鍛冶の仕事は、きつくて献身的な訓練を長い間必要とします。一瞬のうちにできるものではありません。認められるレベルを達成することは、とてもやりがいがあると思います。しかし、ほとんど需要はありません。新しく作った刀は、最低でも100万円はしますので、なかなか売れません。だから、これで食べていくことは簡単ではありませんね」。 ピエールさんが、師匠と暮らす和歌山県北部での生活は気ままなものだという。「時にはカルチャーストレスがあり、カナダのゆっくりした生活ペースや安い生活費が恋しくなりますが、それを除けば日本は不思議に満ちています。文化や言葉をできるだけネイティブに近いレベルまで吸収し、最終的な違いは私の顔だけにしたいと思っています」。 「村はとても美しく、見事な谷間にあります。一番近いコンビニまでは車で30分、駅までは1時間かかります。私の一番のストレスは、住むのに信じられないほどのお金が必要なことです。生活を支えるために1週間に1度だけ働きます。(見習いは、もちろん無報酬です)。だから、生活はいつも厳しく、いや、いつも赤字です」。 現在、日本に刀鍛冶師は250人ほどしかいない。刀鍛冶になると、どんな恩恵があるのだろうか? 「職人になることは、ひとつの生き方であって、誰にでも合うものではありません」と、ピエールさんは認める。「へとへとに疲れますし、芸術性、知性、組織、ビジネス手腕、デザイン力、精神性、手先の技術などのあらゆる分野で高いレベルが求められます。認められるまでには10年以上も努力しなければなりません。私にはこれ以外の人生は見つかりません。まったく自分のペースで毎日を送り、一人になれ、自由に作品作りができ、個人的な要求を満たし、自分が習得した技量がみがかれ、そして、自立し、社会的価値を感じられるのです」。 この情熱的なカナダ人の将来は? 「30年後に聞いてください!どうなっているのか考えられません」と、彼は笑った。「弟子の期間が終わったら、自分の鍛冶場を持ち、日本で一番の刀を作りたいです。そしてそれで食べていきたいですね。私の人生のただ一つの目的は、研究し、腕をみがき、立派な日本刀を作ることです」。 文:ジョナサン・ウォルシュ ソウルスミッシング |
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