日本をより理解するための傑作記事(ひらがなタイムズ誌面より)
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巨悪に立ち向かった捜査官

大塩 平八郎

大阪で与力(現在の警察捜査官)に就任した25歳の大塩平八郎(1793〜1837)に、事件の容疑者から菓子折りが届けられた。その中身は小判だった。奉行所(現在の警察署)の中には賄賂を要求する捜査官も多く、平八郎は愕然とする。さらに、弓削新右衛門という裏社会を仕切り、手下に強盗や殺人までさせる与力がいた。

正義感あふれる平八郎は弓削の組織を徹底的に壊滅。追い詰められた弓削は自害した。しかし、この事件の背景には、幕府(政府)の高官がかかわっていた。身の危険を感じた平八郎は恋人を親戚にかくまってもらい、巨悪に立ち向かう。 捜査をする平八郎にさまざまな嫌がらせ、圧力が続いた。

1830年、平八郎が暴いた不正行為の判決が言い渡された。しかし、それはとかげの尻尾切りにすぎなかった。手下が数名処分されただけだった。その1ヶ月後、理解のあった上司が辞任したのを機に、平八郎は奉行所を去った。その後は学者になり、"良いと知りながら実行しなければ本当の知識ではない"と説く陽明学の道を究めた。

1833年から3年間、日本は冷害や台風で凶作となり20万人を超える餓死者がでた。大阪でも犠牲者がでる事態となり、平八郎は時の町奉行にこう提案した。「米問屋にはたっぷり米があります。値を上げるための売り惜しみをしないように命令を出してもらいたい」と。しかし、奉行は、「奉行所に口出しするとは無礼者」と逆に平八郎をののしった。

大阪の米の値段は6倍に値上がりした。ここにいたり、平八郎は武力で米問屋の蔵を開けさせる行動に出る。決起の前に自分の貴重な蔵書5万冊を処分し、その莫大なお金を1万人の貧民に配布した。1837年2月19日に決起。だが、当日に弟子が裏切り、奉行所に密告した。計画はそれでも実行された。農民が次々と駆けつけ、豪商を襲った。

しかし、まもなくして圧倒的多数の正規軍に鎮圧された。平八郎は民家で自ら火薬をまいて爆死した。幕府は見せしめに、黒焦げになった平八郎の遺体を門弟と共に磔にした。そして、平八郎の墓を作ることを禁じた。享年44歳。権力の不正、横暴 ―― それに立ち向かうものが抹殺される構図は、今も各国にはびこる。平八郎の死は人間の業の罪深さを認識させる。

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