日本をより理解するための傑作記事(ひらがなタイムズ誌面より)
Hiragana Times Japan-Behind the Scenes
 
HOME日本をもっと知る歴史
日本をもっと知る - 歴史

尊敬された日本一のヤクザ

清水 次郎長

一昔前までは、シカゴと聞けば、悪名高きギャングのアル・カポネの名が浮かんだ。同様に静岡県の清水市と聞けば、清水の次郎長(1820 〜 1893)の名を浮かべる日本人は少なくなかった。次郎長は江戸時代末期のヤクザの大親分だが、今でも清水市民に親しまれている。街にはその名にちなんでつけられた「次郎長通り」があり、銅像もある。生家は現在観光スポットとなっていて、次郎長グッズも売られている。

次郎長は、20歳のときに旅の僧から25歳までしか生られないと予言され、自らの運命を呪った。家を飛び出してヤクザの世界に入った次郎長は、喧嘩や賭博の毎日だった。度胸があり、腕が立つうえに義理堅く、そして面倒見がよかった。次第に頭角を現し、次郎長は大親分にのしあがった。そして、大政、小政、森の石松など個性豊かな 子分を率いた。

その武勇伝は、次郎長の死後に数々の時代劇や映画、本などで今日まで語り継れてきた。中でも、浪曲界の大スター広沢虎造の名調子「清水次郎長伝」は日本中に知れ渡った。次郎長の時代は、明治維新という歴史的変換期の中にあった。日本が天皇派と将軍派で争っていたときだ。50歳にさしかかった頃、次郎長は「世のため人のために」と自身も大きく変化した。

人情の人として第二の人生
ある日、将軍派の軍艦が清水港内で天皇派に攻撃を受けて沈没した。多数の将軍派の兵士の死体が浮び負傷者は救助を必要としていたが、天皇派ににらまれるのを恐れ、誰もが助けられない。次郎長は将軍派の兵士を密かに逃がし、死体を集めて供養して埋葬した。

それを知った天皇派に次郎長は尋問された。それに対して「死ねば、敵も味方もない。みんな仏だ。仏を 埋葬することが悪いのなら、どんな罰でも喜んで受ける」と答えた。いつ死ぬかわからないヤクザの世界で生きてきた次郎長だからこそ言える言葉だった。結局、おとがめはなかった。明治維新の立役者の一人、山岡鉄舟は次郎長の行為に感動し、二人は親交を持つようになる。

鉄舟との絆を深めた次郎長は、子分と共に富士山の裾野の開墾をはじめ、さまざまな社会活動を行なった。静岡のお茶は全国的に有名だが、次郎長は開墾した土地を茶畑に変えていった。一方では、英語塾や蒸気船による海運会社を設立するなど時代の先見性もあった。歳をとってからは、子供にお菓子をあげたり、困った人にお金をあげたりする毎日だったという。享年74歳。本名、山本長五郎。

■記事リストへ戻る

Copyright (C) 1998-2008 YAC Planning Inc. All rights reserved