日本をより理解するための傑作記事(ひらがなタイムズ誌面より)
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占領下、ただ一人の従順ならざる日本人

白洲 次郎

作家の今日出海は、白洲次郎(1902〜1985)を「育ちのいい生粋の野蛮人」と称した。日本人離れした長身(185cm)でハンサム。そして日本で初めてジーンズをはいた男。日本ではまだ珍しかった時代にポルシェを愛用し、ゴルフに興じた男。その一方で、戦後の日本を統治した、ダグラス・マッカーサー連合国総司令官(GHQ)を叱りつけた男としても知られる。

白洲は、敗戦後初めてのクリスマスに昭和天皇からのクリスマスプレゼントを託され、マッカーサーへ持参した。 マッカーサーの机の上には既にたくさんの贈物が積まれていた。マッカーサーは「その辺に置いていけ」と床を指した。白洲は血相を変えた。「いやしくもかつての日本の統治者から贈られた物を、そこに置けとは何事か!」と怒鳴り、それを持ち帰ろうとした。慌てたマッカーサーは謝り、新たなテーブルを用意したという。

「日本は戦争に負けたのであって、奴隷になったのではない」と、白洲は原則を重んじた。裕福な家庭に生まれ、イギリスのケンブリッジ大学を卒業後、商社マンとなった。その後、吉田茂首相の側近となる。1948年、商工省(現在の経済産業省)に設立された貿易庁の初代長官に就任。少資源国日本が生き残る道として、輸出主導型へ産業政策を転換させる必要を説いた。

常に原則を重んじた男
1951年、連合国と日本との戦争状態の終了や日本国民の主権の回復などを締結させる講和会議がサンフランシスコで開かれた。その席で演説する吉田首相の英文演説原稿を2日前に見た白洲は愕然とした。その原稿はGHQと外務省が用意したものだった。

「講和会議というものは戦勝国の代表と同等の資格で出席できるはず。その晴れの日の演説原稿を、相手方と相談した上に相手方の言葉で書くバカがどこにいるか」と言った。そして吉田首相に独立国の体面を保つ内容に変え、日本語で演説するように進言した。日本語で演説する吉田を見て白洲が涙を流した、と同行していた宮沢喜一(後の総理大臣)は語った。

GHQの幹部は白洲を「占領下、ただ一人の従順ならざる日本人」と評している。白洲のエピソードは尽きない。白洲が理事を務めるゴルフクラブのトイレに「洗面所のタオル持出し禁止」の張紙があった。それを無視した田中角栄首相に「おい、お前は日本語が読めねえのか」と言ったという。享年83歳。遺書には「葬式無用、戒名不用」の言葉があった。夫人は、作家・随筆家の白洲正子。

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