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反軍国主義を貫いた議員生活63年の政治家

尾崎 行雄

日本の国会の衆議院、その正面玄関に男の胸像がある。「尾崎咢堂」のペンネームを持つ尾崎行雄(1858?1954)である。イギリスのチャーチル元首相より長い議員生活63年(25回連続当選)という世界一の記録を持つ。常に民衆の側に立って闘い、あらゆる権力の弾圧にも屈せず、真の民主政治と世界平和の実現に、その一生を捧げた政治家だ。

1923年に起きた関東大震災の時、朝鮮人が井戸に毒を入れているという噂が流れ、多くの朝鮮人が殺された。尾崎は、「噂だと思うが、事実なら、なぜそれほどまで追い詰められたか、こちらも反省が必要だ」と話した。中国で排日運動が起きたときには、「排日になるようなやり方を反省しないのはおかしい」と言った。尾崎は国を越えた公平な考えを持っていた。

日本が軍国主義に傾倒していた1937年、尾崎は悲壮なおもいで、議会で演説した。「日本帝国はどこへ行くつもりで舵をとっておるのか!」と、議会で軍部の横暴や軍事費の増大を批判した。新聞は大きく報道し、同調する国民から多くの励ましの手紙が寄せられた。しかし、尾崎の願いも空しく、日本は日中戦争に突き進み、さらに太平洋戦争まで引き起こした。

よい国とは、多数の人を幸せにすること
第二次世界大戦が始まると、東条英機内閣は政府が主導する大政翼賛会に日本中のあらゆる組織を結集していた。尾崎は、政府に賛成する側の候補者だけに便宜を与え、他を弾圧する翼賛選挙を批判する演説をした。尾崎は不敬罪(天皇や皇室に敬意を払わないという罪)で逮捕され、懲役8カ月、執行猶予2年の判決が下された。

「もし不敬という大罪を犯しているとすれば、刑が軽すぎる」と、尾崎は逆に大審院に上告した。そして、1944年に無罪の判決が下った。尾崎は反軍国主義・反ファシズムの姿勢を貫いた。戦前には、日露戦争を講和に導いてくれたアメリカの恩義に報いるために桜の苗木を贈っている。それはワシントンのポートマス河畔で今、見事に咲いている。戦後は「世界連邦」建設を提唱した。

神奈川県相模原市生まれ。享年95歳。尾崎は「人間の知識と経験は年をとればとるほど、蓄積される。死ぬ前が最も偉大な事業、思想を起こせる時期である」、「良い国か悪い国かの判断基準は、多数の人の幸福を増やすか、それとも減らしてしまうかによって決まるものだ」との哲学を持っていた。「憲政の神」、「議会政治の父」と呼ばれている。

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