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| 衣装芸術は、国境を越える 衣装デザイナー、時広 真吾さん 2006年8月、東京・中野の梅若能楽学院会館。静まり返る簡素な能舞台に、不思議ないでたちをした4人の楽師たちが登場、太鼓の音が会場に響き渡る。いったい何が始まるのだろうか……登場人物の台詞をなぞっていくと、それがシェイクスピア劇の「オセロー」であることがわかる。 「日本の舞台芸術の伝統的な精神と手法を生かしてシェイクスピアを!」という冒険的な試みに挑んだのは、「りゅーとぴあ」(新潟市民芸術文化会館)のスタッフたち。2004年から、「マクベス」を皮切りに、「リア王?影法師?」、「冬物語」の上演を新潟、東京などで行ってきた。そして2006年8月に取り組んだ新作が、この「オセロー」である。 舞台演出の斬新さ、役者たちの生き生きとした演技もさることながら、ひときわ目を見張るのが衣装の美しさだ。「舞台衣装は、単独で創り上げるものではなく、演出家の意図や役者たちの演技、そして舞台との調和の中で生まれます」と語るのは、衣装デザインの時広真吾さん。 オセローたち男性陣がまとうのは、ラファエロの絵画をモチーフとしたルネサンス調。清純なデズデモーナには平安時代の十二単をモチーフとした桜の襲と柳の襲。印象に残るのは、これまでのイメージとは全く異なり、現実的で普遍的な女性像であるエミリアが高貴な紫色をまとい、娼婦ビアンカが一途な女性らしい、品のよいたたずまいであったことである。彼は色やカタチをさまざまな象徴の表現として使う。例えば、パッチワークはその人間の複雑な心理や、背負っている権力や財産等であったりする。 「舞台では、登場人物にきれいでいてほしいと思うんです。現実の世界の人間って、決して美しくはないでしょう? だからせめて、舞台の上で美しさを表現したいんです。ビアンカは多くの男性と関係を持つ女性であっても、一途な心を持っている、だから、しなだれた格好にはしなかったんです。また、舞台が能楽堂でしたから、その品格を崩したくないという気持ちもありました」。 学生時代は日本画家を目指していたという時広さん。日本の歴史画、美人画に興味を持っていたが、大学入学時に国文科へ進むことに。卒業後はジャーナリストとして、ロンドン、パリコレクションに携わってきた。そのとき感じたことは、ヨーロッパから始まった「立体」の文化に対する彼らの卓越したセンスだと言う。長い歴史の中で育まれた彼らの発想そのものが自然であり、異国の地の私たちが簡単に吸収できるはずがないと。だからこそ、東洋の持つ美意識を存分に生かしたデザインをしたいという気持ちが生まれた。 時広さんの転機の一つとなった仕事に、舞台「阿國・わらう」の衣装デザインがある。歌舞伎の創始者である出雲の阿國を題材とした作品だ。400年前に阿國が着ていた衣装の再現はできない。でも、阿國がもし今の世界に生きていたら、思わず手に取りたくなるような衣装デザインならできると、東洋の粋を集めた衣装づくりに取り組んだ。歌舞伎の発祥は京都という、日本の一地域にすぎない。しかし、舞台には「小さな島国」という枠を越えたパワーがあった。東洋的な魅力をたたえた時広さんの衣装が大きく貢献したことは言うまでもない。 「この仕事の話がきたとき、ぼくは出雲の阿國に認めてもらえたのだなと感じました。そして、空から雨が降ってくるように次々と衣装のイメージが浮かんできました。そして今、シェイクスピアに認めてもらった、と感じたことに感謝しています」。シェイクスピアシリーズでは、時広さん独自の東洋的な魅力が少し薄らいだかわりに、東洋と西洋の美の融合を堪能することができる。 「きっと、今の自分を飾らずに表現した結果なんでしょうね。海外で仕事をすることも多かったですし、日本にいてもパンを食べてコーヒーを飲むという生活をしているわけですから、西洋の影響も受けているのですよね。それが素直に反映されているのだと思います」。「オセロー」の前作である「冬物語」は、ルーマニアで開催された「シェイクスピア国際フェスティバル」に招かれ、大好評を博した。 時広さんの衣装には共通したテーマがある。それは、祈りのようなものにも感じられるし、美しいものへの賛美にも感じられる。あるいはこの大地に生を受けたことへの感謝なのかもしれない。時広さんにとって重要なことは「人間」を愛すること。衣装に、芸術に、文化に国境はない。時広さんの「美」のインスピレーションは、自由自在に日本の国内外を漂いながら、平和への祈りを紡ぎ続けているのだろう。 2007年の公演予定『マクベス』(新潟、東京)3月〜4月 時広 真吾さんのサイト りゅーとぴあ |
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