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パロディで反骨精神を貫いたジャーナリスト

宮武 外骨

メディアは時代を監視する大きな役割を背負っているが、影響力を持つ政治家や宗教家などに利用されたり、迎合したりすることが多い。それがしばしば戦争につながる原因となることは歴史が証明するところだ。日本にはパロディで、権力者に立ち向かった男がいた。その名は宮武外骨(1867〜1955)。香川県の農家に生まれた。「外骨」は文字は異なるが、「骸骨」と同じ発音だ。

外骨は1887年、20歳のとき、「頓智協会雑誌」を創刊した。1889年には民主憲法とはほど遠い大日本帝国憲法を皮肉った。憲法発布式の錦絵を風刺する「頓智研法発布式」のイラストを掲載した。天皇を骸骨に見立てた痛烈なイラストだ。それに、憲法の条文のパロディも掲載した。

当時、天皇を批判することはとんでもない行為だった。外骨は不敬罪に問われ、禁固3年、罰金100円、監視1年の刑を宣告された。しかし、外骨はへこたれなかった。釈放後の1901年、今度は大阪で「滑稽新聞」を発刊した。政治家や役人の横暴、彼らにこびるマスコミ、戦争を支持する国民などを、ユーモアを用いて本質を突く記事を書いた。国民からは喝采を受けた。

ユーモアと風刺で世相を切る
警察署長の不正や、悪徳業者を長期間に渡って紙面で叩く一方で、これらの者のために動くジャーナリストを「ユスリ記者」と呼び、強く批判した。その姿勢は身内にも厳しかった。差別部落の出身であることをほのめかした外骨は、親族から大迷惑と抗議されると、その態度こそ差別と反論した。

反骨精神を貫く外骨は、『滑稽新聞』発刊中だけでも、罰金刑が16回、発売禁止印刷差し押さえ処分は20回以上も受けた。こうした度重なる当局からの処分に対して外骨は、8年間に渡る『滑稽新聞』の出版を自ら停止した。その最終号でも権力を毒をもってからかった。最終号を「自殺号」としたのである。

その自殺号にはこう書かれている。「人は死ぬときに死ななければ、死ぬことより恥と言われています。新聞雑誌も人と同じです。『滑稽新聞』も今が死ぬべき好機と見て、潔く自殺します。なぜ自殺の好時期かというと、『滑稽新聞』は創刊以来、部数が増え続け、花でいえば今が満開の時であるからです」。88歳で亡くなるまで、外骨の入獄は4回、罰金・発禁などは実に29回に及んだ。

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