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モナ・リザとは対照的手法で描かれる日本の美人画

日本画家 大竹五洋画伯

ルネサンスの天才が自らの絵に仕組んだメッセージを暴く小説「ダ・ヴィンチ・コード」(ダン・ブラウン著)が映画化され、レオナルド・ダ・ヴィンチに、今スポットライトが当てられている。世界で最も有名な「モナ・リザ」は言うまでもなく、彼の作品だ。あの神秘的な微笑みはあまりにも有名だが、ダ・ヴィンチはモナ・リザに輪郭線を描かなかったことをご存知だろうか。

リアルさを出すために用いたダ・ヴィンチのこの手法と対極にあるのが日本画だ。江戸時代(1603〜1867)の風俗を描いた浮世絵が、ゴッホ、セザンヌ、モネなど、印象派の画家に大きな影響を与えたことはよく知られている。その日本の伝統絵画では、輪郭線が生命線といわれる。いわゆる、「美人画」は美しい輪郭線を用いて描かれた。その手法は現代に引き継がれている。

近代の美人画の巨匠といえば伊東深水画伯と、その後継者の大竹五洋画伯だ。日本画にはいくつかの流派があり、その技法は代々受け継がれていく。いわば、日本の伝統芸能、伝統工芸の徒弟制度の側面も持ち合わせている。大竹画伯は、伊東深水の内弟子として入門が許された。「師匠の存在は絶対で、師匠のアトリエがすべてでした」と回想する。

「芸術家には二つのタイプがあります。伝統を守りながら自己を表現するタイプと、それを破壊して別なものを生み出すことによって自己を表現するタイプがあると思いますが、私は前者です」。大竹画伯は迷うことなく、受け継いだ技法に誇りを持って守り、美人画を描いている。深水には多くの優秀な門下生がいたが、独り立ちさせた弟子は大竹画伯のみだった。

「師匠からは、美人画は線の美しさにあると教わりました。油絵は後で上描ができますが、日本画は一筆がきなのでやり直しができません。息を止めて描きます」。顔と手、それに身体の線が決めてだという。どのように描くか、描くまえに想像力を働かせる。微妙な色は絵の具の組み合わせで出すが、日本画では経験が重要な要素となる。

日本画となれば、和服姿の女性を描くことが多い。大竹画伯は舞妓を好んで描く。舞妓は、宴会でお客をもてなす芸者になる前の10代の女性。芸者を描くのはあまり好きではない。舞妓のみずみずしく誠実なところが気に入っている。好みのモデルを描くときには、描きやすく、自然と自分の理想の女性に描いてしまうという。

思い入れの絵を手放すときは、娘を嫁に出す心境
一枚の絵を描くには、一年ぐらいかかることもある。構想、準備に時間がかかる。画伯は描き始めるときには気持ちを清める。モデルにはそれぞれのしぐさがあるという。たとえば、眠っていても足の親指を立てている舞妓。画伯はそれを忠実に描く。自然体が最も美しいとの信念からだ。見る角度によって絵が不自然にならないよう配慮もする。

手塩にかけたこれらの絵はやがて売られていくが、嫁入りする娘を見送る父親の気持ちだという。「それは、とても淋しいですよ。買われた方には大事にして欲しいという気持ちが強くありますね」と画伯。美人画だけに、一枚一枚にはそれぞれの思い入れがある。画伯にとっては、それらが恋人であり、かわいい娘たちに違いない。

大竹画伯は、小学3年生の頃、雑誌の口絵に描かれていた美人画を見て興味を抱いた。25歳のときに画家になるために家族の反対を押し切って、作品を抱え、歴史画の巨匠、安田靫彦画伯の門を叩いた。「私の絵を見た安田先生は、『私より、美人画の深水先生の方が向いている』とおっしゃり、紹介していただきました」と、画家になったいきさつを語る。

その後は1957年に日展に初入選して以来、文部大臣賞をはじめ数々の賞を受賞した。日本各地、またイギリスやスペインなどでも個展を開くなど、日本画の普及に貢献してきた。毎月2回鎌倉で、「大竹五洋日本画教室」を開催している。現在は夫人と画家の息子さんとその鎌倉に住む。

鎌倉は歴史の街として知られているが、芸術家が多く住む街でもある。師の伊東深水もこの地を終のすみかとした。小高い丘にある画伯の自宅の居間の眼前には、永遠のときを刻む深い緑と青い空が広がっている。画伯が愛情を注いで描いた美しい女性達も、モナ・リザと同じように不滅のときを重ねていくだろう。

大竹五洋公式ホームページ
URL:
http://www.goyoh.com/

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