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| テレビドラマのモデルにもなった チンドン屋 ちんどん通信社代表 林 幸治郎さん みなさんは「チンドン屋」をご存知だろうか? 簡単に言えば、団体で奇抜な衣装を着て、楽器を鳴らして、チラシを配りながら街をねり歩き、依頼されたお店にお客を誘導する広告代理業。路上芸人を兼ねる、日本で発展した独特な商売だ。今ではほとんど見られなくなった。彼らの中で一際目立っているのが、ちんどん通信社代表の林幸治郎さん。 林さんはNHKのテレビドラマのモデルにもなったことがあり、大学の講師も勤めた異色の人物だ。「全日本チンドンコンクール」では、7回グランプリを受賞した。日本最大のチンドン屋集団を率いて、年間1,000件ほどの仕事を受注する。アメリカ、アジア、ヨーロッパなど海外でも活動する。 「チンドン屋は江戸時代末期(19世紀中頃)からあり、明治の中頃(20世紀初め)がピークでした。宣伝の概念がなかった当時としては最先端の宣伝媒体で、化粧品会社、ビール会社など、スポンサーも最先端の企業でした」と、林さんは説明する。当初は、「トーザイ、トーザイ」(みなさん、みなさんという意味)と、口上を述べて始めたことから「東西屋」と呼ばれていたという。 チンドン屋はとにかく街で目立つことが一番。「衣装は端切れで作るパッチワークがほとんどで、昔は、だいたいチンドン屋のおかみさんが作っていました。うちの場合、今はニューハーフの衣装を作るおばちゃんに端切れをもらって作ります。また、服飾学園の生徒に作ってもらうこともあります。彼女たちも着てもらえることに喜びを感じています」と林さん。 楽器はさまざまで、鐘や太鼓、三味線などの和楽器から、アコーディオン、トランペットなどの洋楽器まで、何でもありの世界だ。チンドン屋の経歴も、サーカス出身者、元楽団員、劇団員、芸者、大工、失業者などさまざま。最初は片手間で始めるがいつの間にか本業になってしまった人が多い。 「かつては、チンドン屋は楽天的な人が多く、お金を貯める人はあまりいませんでした。入れば使ってしまい、なくなるから続ける、気がつくと本業になっているということですかね」と林さんは笑う。チンドン屋の収入は普通の会社員より安いという。だが、自由に、ひょうひょうとして生きられることが魅力なのだという。林さんはこの道に入ってすでに25年が経つ。 ひょうひょうと生きられる魅力 仕事は、大手食品会社の売り出しキャンペーンから、結婚式の披露宴、病院のオープン、墓石の売り出しまで、さまざまなところから入る。中には面白い依頼もある。大学の映画祭に来る学生集め、女子大のカップヌードル早食い競争の参加者集め、中学生に遅刻をしないように訴える仕事、高校の鑑賞会での寸劇出演依頼などだ。 「成人式の講師を依頼されたこともあります。若者は話を聞かないから、講演者は怒って途中でやめてしまうのだそうです。30秒でも聞いてもらえばいいからと、担当者に頼まれました。幸い、私の話はみんなよく聞いてくれたんです。これからの日本を支える若者にチンドン屋が講演するというのもおかしな話ですね」と林さんは笑う。 今、小中学校の修学旅行に「たこやき体験」、「落語体験」など実践コースが組み込まれていて、「チンドン屋体験」が一番人気となっている。化粧をして、グループで街に出て自分の学校の宣伝をする。最初は照れくさがるが、街で大人にほめられたり、幼稚園児から「おにいちゃん、かっこいい!」と言われたりして、参加者は大喜びする。 「今の子供たちは、大人とコミュニケーションをとりたがらず、ほめられることがないから嬉しいんですね。終わっても化粧をしたまま、USJや京都見学に行く子が多いんです」と林さん。「ニューヨークでは、集まってくるのは英語のできない人ばかりでした。私たちと通じるものを感じるのでしょうね」。林さんはチンドン屋を通して社会の空気を肌で感じている。 「プロのチンドン屋は、現在日本に100人もいません。今後、チンドン屋が存続していくかどうかは、若者がどう考えるかですね。フランスで、金髪の若い女性がやりたがっていたのにはびっくりしました。」と、林さんは語る。「チンドン屋は、他の人から下に見られるから楽ですよ」と、林さんは微笑む。この生き方も悪くないようだ。 ちんどん通信社〜(有)東西屋 |
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