日本をより理解するための傑作記事(ひらがなタイムズ誌面より)
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愛を大胆に表現した情熱の女流歌人

与謝野 晶子

約100年前、一人の男性への愛を大胆に表現した女流歌人がいた。その名は与謝野晶子(1878〜1942)。彼女はその男性への想いを次のように歌った。

やわ肌の あつき血汐に ふれも見で さびしからずや 道を説く君
[意味] 燃え上がる私を抱こうともせず、人生について語っているあなたは空しくないのですか

春短し何の不滅の命ぞと力ある乳を手にさぐらせぬ
[意味] 春は短い、何のための命なのかと、精気あふれる乳房を彼に触れさせる

女性が男性の従属的な立場にあり、謙虚さが女性の美徳とされていた時代に、晶子は女性の想いを大胆に表現し、センセーションを巻き起こした。彼女の歌は、短歌(和歌とも呼ばれる)という形式でつくられている。日本の詩は、5-7-5の韻を踏む俳句と、5-7-5-7-7の韻を踏む短歌が、伝統的なスタイルである。

晶子は、1878年に大阪・堺の老舗の和菓子屋に生まれた。女学校時代から文学に親しんでいた。彼女には短歌の才能があり、後の夫となる与謝野鉄幹(1873〜1935)が1900年に創刊した短歌雑誌「明星」に参加した。そして、1901年、大阪に来た鉄幹と出合ったことが、彼女の運命を変えた。

彼女はすぐに鉄幹に心を奪われるが、鉄幹にはすでに妻がいた。そればかりでなく、鉄幹の門下生で、晶子と同じように鉄幹を慕う才能豊かな歌人、山川登美子がいた。この複雑な人間関係の中で、晶子と登美子は競い合うように、鉄幹への想いを歌い上げた。二人は「明星」のスターであり、ライバル関係でありながら、鉄幹の妻の前では同志であるという奇妙な関係にあった。二人には姉妹のような連帯感もあったという。

1901年に晶子が発表した歌集「みだれ髪」は、鉄幹へのあふれる愛を、大胆で、みずみずしい表現で歌いあげ、若い世代の圧倒的な支持を得た。一方、ライバルの登美子は親の強引なすすめで他の男と結婚することになった。そして、鉄幹は妻と離婚し、晶子の夢はかない、ついに鉄幹と結婚した。そして、11人の子供を持つことになるが、鉄幹への一途な愛は生涯変わらなかったと伝えられている。

命がけの反戦歌
1904年には、日露戦争に従軍していた弟に対する感情を表した「君死にたもうことなかれ」を発表し、大論争となった。日本全体が戦意高揚の中での女性の立場からの反戦歌。まさに、命がけの抗議だった。

「君死にたもうことなかれ」
ああおとうとよ 君を泣く
君死にたもうことなかれ
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃をにぎらせて
人を殺せとおしえしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや

晶子の活動は短歌だけにとどまらず、女性の権利をはじめ幅広い分野で重要な役割を果たした。晩年には、最古の恋愛小説「源氏物語」などの古典文学を現代語に訳した。晶子の精力ははかりしれない。そして、今も人々の心を惹きつけている。

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