日本をより理解するための傑作記事(ひらがなタイムズ誌面より)
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亡くなった主人を待ち続けた犬

忠犬ハチ公

犬は人間に最も忠実な動物として知られているが、日本には主人に死ぬまで忠義を尽くし、有名になった犬がいる。その犬の名は「ハチ」(1923〜1935)で、一般的には「忠犬ハチ公」と呼ばれている。東京渋谷のJR駅前には銅像が建てられていて、待ち合わせ場所として最も多く利用されている。

ハチは、1923 年に秋田県で生まれたオス犬で、生まれてまもなくして、帝国大学(今の東京大学)農学部の上野英三郎博士に飼われることになり、東京に移った。上野博士は渋谷駅近くの大きな家に住んでいた。子供のいない上野博士宅にはすでに8歳のジョンと7歳のエスがいて、ポインター種のジョンは子犬だったハチの面倒をよくみていたという。博士は遠くからやってきたハチをとてもかわいがった。

ハチ、ジョン、エスの3匹は渋谷駅へ朝の見送り、夜の出迎え、また、離れたところにある農学部校門へ主人を送迎した。博士は必ず別れ際にポケットに用意しておいたビスケットを与え、愛撫した。

1925年5月21日、ハチだけで夕方農学部校門に迎えに行き、博士を待っていた。しかし、暗くなっても博士は戻ってこなかった。その日、博士は教授会を終えた後、突然亡くなってしまったのだ。ハチを飼ってから、わずか17ヶ月のことだった。家に戻るとハチは、博士の遺留品の置いてある物置へ入り、そのまま3日間、何も食べなかった。

4日目の25日、通夜が行われたが、死の意味のわからないハチは、ジョンとエスと一緒に博士を渋谷駅に迎えに行った。その後も、出迎えは続いた。夫人は自分で飼うわけにはいかず、ハチは、渋谷に程近い三軒茶屋に住む知り合いに引き取られた。しばらくして、上野博士が帰宅していた時間帯に誰かを待っているハチ公の姿が、渋谷駅で雨の日も風の日も目撃されるようになった。

教科書にも採用された美談
この頃のハチは、駅員や露店商に邪魔もの扱いされ、いじめられていた。一方では、主人が亡くなっても迎えに来る、けなげなハチを可哀想に思う人が増え、1932年ハチは新聞に紹介された。ハチの忠義が多くの人に知られるようになり、ハチに対する周囲の見方は一変した。駅員や売店の店員は急にハチを可愛がるようになり、駅周辺にはハチ公せんべい、ハチ公チョコレートを売り出す店が出るほどだった。この頃からハチは忠犬ハチ公と呼ばれるようになった。「公」は、偉い人につける「様」の意味だ。

1934年には銅像まで建ち、除幕式にはハチ公も出席した。文部省は小学2年生用の教科書に「恩を忘れるな」と題したハチの物語を採用した。映画や本にもなり、美談として、ハチは日本人の心に深く浸透していった。1935年、ハチは惜しまれながらその一生を終えた。

ハチ公の告別式にはたくさんの人が押しかけ、毛並みを撫でたり、チョコレートを供えたりした。ハチの遺体はハチを知る少年少女たちの花輪で埋もれてしまった。遺骨は、青山墓地の上野博士の墓のそばに葬られた。毛皮は剥製にされて国立博物館(東京)に保存されている。

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