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七転び八起きのスキー人生

2005全日本スキー技術選手権優勝者 佐藤 久哉さん

「七転び八起き」という格言が日本にある。何度失敗しても最後には立ち上がるという意味だ。今年の3月、全日本スキー技術選手権大会で優勝した青森出身のプロスキーヤー、佐藤久哉さん(33歳)は、まさにその言葉を象徴するかのようなスキー人生を歩んできた。父が、エベレスト頂上からの滑走に成功した世界的な冒険スキーヤー、三浦雄一 郎氏の友人であることから、父に3歳のときからスキーを教えられた。

久哉さんは小学校のときからその才能を発揮し、4年生から東北大会で3年連続優勝、また、中学2年、3年では全国大会で連覇。若くして日本を代表するナショナル・チームの星となったのである。高校時代にはスランプを経験したが、3年になると不振から立ち直り、世界選手権の代表にも選ばれた。だが、イタリアのレースで足のじん帯を切断する大事故に見舞われ、出場できなかった。息子のオリンピック出場を夢みていた父をはじめ、家族の落胆は大きかった。

オリンピックを前に大怪我
久哉さんはスポーツ用品メーカーの潟fサントから入社の誘いを受け、社員となった。そして、怪我が治った久哉さんは、念願だった1993年の雫石(盛岡)で開かれた世界選手権の日本代表になったのである。「怪我を克服した後だけに、家族は本当に喜んでいました」。だが神は、久哉さんに背を向けた。彼が出場する種目が悪天候のために、なんと中止になってしまったのである。

さらに、不運は続いた。翌年の’94年に開かれるリレハンメル・オリンピックに出場すべく、南米でトレーニングに入っていたが、そこで、また足のじん帯を切断してしまったのだ。これには、久哉さんも落ち込んだ。「現地から父親に電話をすると、『お前は十分にがんばった。もう帰ってこい』と父は涙声で言いました。父の無念さが痛いように伝わり、本当に辛かったです」。それに追い討ちをかけるように、久哉さんはナショナル・チームからもはずされてしまった。

完全に気力を失った久哉さんは、リレハンメル・オリンピックのテレビ中継を見ることもできなかった。しかし、しばらくすると周囲からの励ましもあり、もう一度滑りたいという欲望が湧いてきた。それで、自己負担で行くから、スイス・ナショナル・チームの合宿に参加させて欲しいと会社に願い出た。デサントがスイスチームのスキーウェアを作っていたからだ。会社は、その提案を受け入れてくれただけでなく、給料も支払ってくれた。

1995年の夏、久哉さんはスイスのナショナル・チームの合宿に参加した。だが、メンバーにあたたかく迎えられたわけではなかった。久哉さんが食堂に行くと、彼らは挨拶もしなかった。全くの無視で、誰も話をしてくれなかった。それから数日後にタイムレースがあり、久哉さんが上位にランクされると、環境は一変した。「彼らは、『今日から仲間だ』と言ってくれたんです。それから楽しくなり、成績はさらに上がりました」。

1996年に参加したヨーロッパカップでは、全日本のどの選手より早いタイムを出し、帰国後の全日本選手権では見事に優勝した。世界ランキングで日本人1位となり、佐藤久哉復活と騒がれた。「どうだ、という気分でしたね」。久哉さんは1998年の長野オリンピック選手に選ばれると確信した。だが、神はまたしても久哉さんに背いたのである。選考にもれたのだ。思いもよらない結果に、久哉さんはついに競技生活を断念してしまった。

難関のデモンストレーター試験に合格
挫折した久哉さんは、デモンストレーターのライセンスを取得する決意をした。現在、日本に男性21名、女性7名しかいないスキー指導の最高峰のライセンスだ。筆記、実技、面接と難しい試験に合格しなければならないが、久哉さんはその難関を突破した。「長野オリンピックは、指導するかたわらテレビを見ていました。スイスの選手が優勝し、仲間が上位に入りました。正直、自分が出ていればという気持ちになりましたね」と久哉さん。まもなくして、同じデモンストレーターの中澤美樹さんと結婚した。「彼女とは趣味も性格も違いますが、とてもうまが合うんです」と、久哉さんは照れた。

今度は、9種目のスキーの技術を競う全日本スキー技術選手権に久哉さんはチャレンジを始めた。だが、この7年間は上位に入るものの、優勝はできなかった。今年の大会は3月に八方尾根で開催された。久哉さんは好調で、最後の滑走を残して首位にいた。「最後をうまく滑れば優勝できると思ったら、身体がすごく硬くなってしまいました。満足な滑りができなかったんです」。久哉さんは、二位につけている柏木義之選手の滑走を待った。この大会に勝てば3連覇を達成する強敵だ。彼は見事な滑りをみせた。久哉さんは駄目だと思った。だが、掲示板を見ると久哉さんが僅差で勝っていた。神はついに久哉さんに微笑んだのである。

敗れたライバルの柏木選手と久哉さんは、互いの健闘を称えて抱き合った。久哉さんの目から涙が止まらなかった。その涙の意味を柏木選手も知っていた。そして、言った。「久哉さんに敗れたのだから、悔しくありません」と。表彰場では久哉さんを支えてきた愛妻の美樹さんと抱き合った。それは何よりも感動的な光景だった。その後、父親に電話を入れると、「おめでとう」と静かに言った。その一言には万感の想いが込められていた。

佐藤久哉オフィシャルサイト
www.hisayaz.com

 

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