日本をより理解するための傑作記事(ひらがなタイムズ誌面より)
Hiragana Times Japan-Behind the Scenes
 
HOME日本をもっと知る歴史
日本をもっと知る - 歴史

神の子孫として登場する日本の初代天皇

神武天皇

2月11日は日本の建国記念の日。何をもって建国とするかは国によって異なるが、新興諸国では独立記念日とするところが多い。しかし、日本の建国記念の日が、何に基づいて決められたかについて、答えられる日本人はほとんどいないといっていいだろう。それはなぜなのか?

そもそもこの日は戦前に紀元節として祝っていた。戦後、日本国憲法の精神にそぐわないとして廃止されたが、1966年に「建国記念の日」として復活したのである。720年に完成した歴史書、日本書紀に初代の天皇、神武天皇が即位した日として2月11日が記載されていることに基づいている。

幕府との戦いに勝利し(1868年)、天皇を中心とする国家を打ち立てる必要があった明治政府は、最も古い歴史書「古事記」(712年)および「日本書紀」に書かれた伝説をすべて事実とみなして、政治に利用した。天皇は「天照大神」を祖先とする神武天皇から今日の天皇まで、万世一系として神格化されたのである。

神武天皇は存在していなかった!?
日本書紀では「初めて国を治めた天皇」という天皇を二人挙げている。一人は初代天皇の神武天皇、もう一人は第10代天皇の崇神天皇。神武天皇に対しては、伝聞形で「初めて天下を治められた天皇」と書いている。一方、崇神天皇については「人民の戸籍を作り、仕事を割り当てた。物は豊かで天下は平穏であった。そこで、天皇をほめたたえて『初めて国を治めた天皇』と呼んだ」としている。

神武天皇はどんな人物だったのだろうか。驚くことに、学識者の間では神武天皇は存在しなかったことが定説となっているのである。神武天皇のみならず9代までの天皇は架空で、実際の初代の天皇は第10代の天皇とされる崇神天皇とする説が有力なのだ。

九州に本拠地のあった神武天皇の大和地方(近畿地方)に遠征した話は有名だが、日本の中心は後に大和に移動している。神武天皇は、崇神天皇およびそれ以後に大和朝廷を作った後継者を投影した架空の天皇だという見方が有力なのだ。神武天皇は127歳で没したとされるが、この時代の天皇はほとんどが100歳以上で没したことになっている。これは、中国暦をもとに神武天皇が即位した年を縁起のよい年に設定したため、架空の天皇の存命期間でつじつまを合わせたものと思われている。

日本書紀は政変をあらわす物語なのか?
なぜそんなことをしたのだろうか。この質問には、崇神天皇が朝鮮半島からやってきたという説に説得力がある。半島から日本にやってきた天皇家が、大和の有力な勢力を次第に取り込み、時代とともに実権を握っていったが、それを正当化する必要に迫られていた。過去の事例に従いやすいという日本人の特性を踏まえ、天皇家の血筋は神と繋がっていて、天皇は神の命令を受けた執行者とすることが最も有効な手段だったというものだ。先の二つの書物には、信頼できる後年の時代の記述部分と、神話の部分がある。神話の部分は、後の支配者の創作だとする学説が一般的だ。

君主が神の子とする神話は朝鮮半島にもある。高松塚など、日本で位の高かった古代の墳墓の発掘から、埋葬者が朝鮮半島とは多いに繋がっていたことが次第に明らかになってきた。天皇家の墳墓を調査できれば、古代の日本の姿がはっきりするだろう。しかし、それは天皇家のプライバシーを守るという立場からできない。

天皇家の祖先が半島からやってきたかもしれないと、その可能性について公然と発言することは今でもタブーとなっている。天皇家は現在においても、神聖にして不可侵な存在なのである。そして、神武天皇は日本の初代天皇として名をとどめていくことになる。

■記事リストへ戻る

Copyright (C) 1998-2008 YAC Planning Inc. All rights reserved