| 日本をもっと知る - 外国人の目/異文化 | |
| 世界で最も信心深い人々――日本人 東京での最初の年、日本人に宗教や何か神秘的なことを聞くと、毎回、沈黙の壁にぶつかり混乱させられ、挫折した。私は目的も無くデパートをさまよう化粧した日本人女性の間を歩き、はやとちりをしてしまった。しかしながら、三年住んだ後に、私が完全に間違っていることがわかった。日本人はこれまで私が出会ったどんな人々より信仰心が厚いことが分かったのである。 私の最初の間違いは日本人のライフスタイルに対し、宗教的になるとはいかなるものかという西洋的な考えを当てはめたことだ。西洋では、私たちの信仰や精神的な感覚を正当化し、限りなく説明する。しかしながら、日本人にとって「神秘」とは、日常の中で静かに体験され、感謝されるもので、文化人の浅はかな知恵に基づいた分類や判断によるものではない。私は日本で沈黙の中の高潔さを見出した。 日本にはスピリチュアルな真相を伝える言葉を使うことに疑問を持つ文化がある。英語では「マインド」と「スピリット」とを分け、その概念も分けてしまう。クリスチャンの神学ではマインドとスピリットの違いに関するホットな議論が、2000年も続いている。一方、日本語には「マインド」とも「スピリット」とも訳せる「精神」という単語がある。その意味はあいまいだ。なぜなら、日本人にとっては西洋的概念のスピリットとマインドを言語的に分ける必要がないからだ。 日本固有の神道では、正式な教義や神聖な聖典もない。ここには言葉が存在しない。仏教やキリスト教、イスラム教と違い、神道には悟りを開いた仏陀、救いの御子キリスト、預言者モハメッドのような創始者がいない。そのかわり、神道は自然の力や畏怖や神秘の感覚を生み出すすべての「モノ」のなかに存在する、「神」と呼ばれる目に見えない媒介と関わっている。それらは、山であり、花であり、岩である…数えたらきりがない。 「モノ」とモノに存在する「スピリット」とは厳密な区別がないのだ。山のスピリットと山そのものが一つで、同じものなのだ。日本人は神を概念的にも神学的にも考えていないが、存在するものの奥深くに潜む神を直感的に意識している。神道学者によると、神の世界は人間の世界を超越することはない。日常生活は神への奉仕と考えられている。このように日本人は日常生活のモノのなかに潜む畏怖と神秘を体験できる――神聖と俗界の区別のない世界なのだ。 日本人は山や、年に一週間しか咲かない花を見に全国を旅する。桜が咲くときには宴会や家族の式典を催す。日本人は、これらの活動が西洋の感覚では宗教的であることに気づいていない。単に生活の一部にすぎないのだ。 今、私たちが世界中で目にする宗教への狂信のさなか、花見の中で簡単に具現化できるような、純粋なスピリチュアル感覚を体験できることはとても新鮮だ。 |
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