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| 山形の特別な女将-藤ジニー 山形県の丘陵に位置し、すばらしい山岳風景が眺められる藤屋旅館の藤ジニーさんは、都市の騒音を忘れさせてくれる素朴なやすらぎと、純粋なくつろぎをもたらしてくれた昔に案内してくれる。 350年以上の歴史を持つ日本の伝統的な旅館で、藤屋自体が伝説化している。お客はこの特別な旅館をただ称賛するばかりだ。それぞれのお客に元気を取り戻してもらうための努力を惜しまないばかりか、皆に愛されているアメリカ人の女将、ジニーさんがいるのもめずらしい。 日本にやってきた理由は女将になるためではないとジニーさんは叫ぶ。「こんな仕事をするとは100年経っても考えてもみないことだわ」。交換学生として6ヵ月間横浜に住んだ後、日本の美しさ、文化、複雑さに惹かれたジニーさんは、アメリカで医師の勉強をする前に英語の先生として日本に戻ってきた。だが、運命はジニーさんを別の方向に導いた。1989年、友人と藤屋旅館に泊まり、未来の旦那様に出会ったのである。 女将がどんな仕事をするのかもわからず、旅館で義理の母と夫と毎日現場修行をしながら働いた。「最初は簡単な仕事から始め、段々とむずかしい仕事をするようになりました」。一生懸命働き、努力し、成功への願望をもったジニーさんは今、特別統括マネージャーとして、各お客への世話が十分かを確認している。 旅館の管理はきつい仕事で、ジニーさん自身が自分の失敗から学ぶことがあった。「駆け出しの頃、間違った日に予約をしてしまいました。数週間前に旅行代理店から確認の電話がありましたが、私の間違いに気付きました。その日はすでに満員で、40人の宿を探すのに駆けずり回りました」。 ジニーさんに心あたたまる見かえりもある。旅館は人々がのんびりとくつろぐ場所だが、ジニーさんは人々をそんな気持ちにさせる機会を持てることが好きなのだ。「数年前、30人のアメリカ人グループが一晩滞在しましたが、彼らは藤屋に到着したときにはとても疲れていました。そして自分たちが参加している日本のツアーに不満をもっていました。私はスタッフと彼らの気分を変えようと一生懸命でした。それで次の日には、みんなが笑顔となり、とても楽しかったと言ってくれました」。 ジニーさんの家族は二人のすばらしい子供たちに恵まれ、それが、ジニーさんの人生の大転換期となった。「二人の子供を持つことは、特にまだ二人が小さい頃は、仕事と母親業のつり合いをとることが、とてもストレスになりました。今でも、私の仕事のスケジュールと学校の行事はときどき重なります。でも、子供たちは私の最優先で、時々、子供たちのために仕事を離れます。 山形県で藤屋旅館の人気は続いているが、お客からの苦情はないようだ。「これからも旅館のサービスの向上、特に一人ひとりへの配慮に努めます。 すごく努力が必要ですが、やりがいがあります」。外国人として、ジニーさんは旅館のサービスに新しい考えを加えている。「日本中の伝統的な旅館の基本的なサービスはほとんど同じです。それで、サービス向上のために新しい考えの導入を試みています」。例として、ジニーさんは西洋料理やカリフォルニアワインなど馴染みのものをアメリカの祭日に出して祝い、ちょっとホームシック気味のアメリカ人ゲストを元気づけている。 日本の伝統的な旅館に泊まることは、一生の体験だ。すばらしい日本式の夕食を食べた後にふとんに横たわることに、あるいは山形の山々からのすずしいそよ風にあたりながらの朝食に勝るものはない。ジニーさんは他の女将と共に、やすらぎと幸せの究極の経験をお客様に与えることをライフワークとした。 もし、あなた自身で体験したいならジニーさんに電話してください。
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