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| 異端児の在日アメリカ人、リック・ロア ブルックリン生まれのリック・ロアさんのような外国人は今の日本には少ない。「ビッグ・ミカン」に35年のリックさんは、日本で行われた最大級のイベントを立ち上げ、多くの大使、元総理大臣とのコンタクトを持ち、それに「Playboy」のライセンス・ディレクター、最も尊敬し賞賛する叶姉妹の国際マネージャーをした事もある。 1968年にリックさんが最初に飛行機でやってきたとき、富士山から蒸気が昇っているのを見た。彼はそれを日本の匂いと思った。リックさんは日本人女性と結婚し、長男のジャスティンをもうけた。新しい人生をスターとするにあたり、多くの父親がそうであるように、彼は手っ取り早く金が欲しかった。そして、英語を教え始めた。しばらくすると、リックさんの企業家精神に火がついた。彼は企業に英語教室を売り始めたのである。 その少し後、友達が高級ホステスクラブの仕事を世話してくれた。たくさんの美女に囲まれたバーテンダーだ。法外に高いドリンクをつくり続け、三菱、住友、三井など多くの一流商社の幹部との会話を楽しんだ。 「アメリカン・トレイン」を創り出す リックさんは契約書にサインすると、11車両の列車を赤、白、青に塗り、正面にアメリカの紋章ハクトウ鷲を描いた。リックさんはアメリカの会社の代表にアメリカの顔というべき良質なアメリカ製品が大展示され、日本中を回ると約束した。彼はアトランタのコカコーラ本社に飛び、大胆な販促計画に署名するように説得した。あわただしくたくさんの州を訪れ、リックさん一行はアメリカン・エクスプレスやその他の大手企業に参加するように呼びかけた。 当時の石原慎太郎運輸大臣(現東京都知事)がテープカットして、東京から走り始めた。7月4日(アメリカの独立記念日)のことだった。電車はどこへ行っても成功で、どこへでも行った。「あれは、いままで見たことのなかった最高品が並んだ動く博覧会だったね」と、リックさんは当時を思い浮かべる。 ホイットニー・ヒューストン、ボビー・ブラウン、シンディ・ローパー … を日本に呼び寄せた リックさんの日本での広範な経歴は、貴重な体験をもたらした。リックさんが日本の文化で学んだ最も大切なことはネットワークの力だ。「私が訪れた世界のどこよりも、日本ほどネットワークが大切なところはないですね。それを大切にしていれば、報われ、よい人間関係ができるでしょう」とリックさんは言う。 こんなたくさんのことをやり遂げることのできるリックさんはどんな性格をしているのか? 「感性、積極性、それに楽観的な姿勢」とリックさん。彼は成功について簡単な考えを持っている。「私は失敗することが嫌いです。やる気を失いますからね。人様のお金で失敗したときにはなおさらです」とリックさんは笑いながら言う。「日本では失敗を軽くみないですね。みなさんは自分の道を進んでください。私は間違いない道を通れてよかったです」。10年ほど前、リックさんは再婚し、美しい眞智子夫人が彼の人生の中で最優先となった。 リックさんの詳しい事は、トニー・テオラさん著の新刊「American Maverick in Japan」に書かれている。 |
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