■国際結婚情報
国際結婚情報
クリニックをとるか私をとるか選んで!
明彦さん&リアンさん
「私たちは赤ひげ堂と呼ばれる東京の東洋医学の治療院で出会いました。彼はそこで私の指圧を担当していました」と、夫の明彦さんとの最初の出会いを語るリアンさん。ライターで芸術管理学の大学院生として1985年に初来日したカナダ系アメリカ人だ。「私が赤ひげ堂を訪れたときには、ストレスで日本にいる目的がわからなくなり始めていました」と思い浮かべる。
そのクリニックで仕事をしていたのが若林明彦さんだが、リアンさんには次元が違う人に思えた。「道教を実践している師匠に学び、毎日様々な修行をして難問に直面するアキを見て、パートナーに出会ったと感じました。特に厳しいものは、7日間休みなしのスケジュールでした。彼と一緒にいるにはそれを受け入れるか、断るかのどちらかだったのです」と彼女は言う。
「クリニックで治療を受けている間、私たちは少し話しました。でも、大きな声で無邪気に笑う以外、彼について何も知りませんでした」とリアンさん。治療へ行くのを止めた後、明彦さんから突然電話があった。「あなたはジャーナリストでしょう。面白い事があるけど、来ませんか」。それは、彼のおばあさんのお葬式だった。そして、それが彼からの最初のデートの誘いだった。
二人の仲が深まった後、思わぬ亀裂が生じた。二人は1991年に結婚、子供が欲しいと思った。しかし、なかなか生まれなかった。「6年間身ごもらず、それが、長期間にわたって会話のテーマ、反省、涙、ストレスになりました」とリアンさん。「でも、アキの『意識トレーニング』セミナーで、私の人生はまったく思わぬ方向に変わりました。
「彼はそこで絵を描かせたのです。アキは何か自分が欲するものを描き、絵で具体的に表現するように言いました。そこで、私は自分の裸と妊娠している姿を描きました。このように自分自身を見ることに驚きがありました」。それから数ヶ月間、リアンさんはパステルで描き始めた。妊娠したい願望を何枚も何枚も描いた。そして、「驚いたことに、問題なく妊娠できたのです」。
リアンさんが妊娠した頃、二人は将来について葛藤していた。「アキの仕事のスケジュールは長い人生の選択肢としては不可能なことでした。でも、赤ひげ堂のトレーニングには思いやりと技術に長けていたので、私は7年間も我慢できました。1996年、私はついに、クリニックをとるか私をとるか選ぶように彼に伝えました。最初、彼はクリニックを選んだのです。それで私は、それが本当に自分のしたいことなのかがはっきりするまで実家に帰り、しばらく両親と暮らしたらどうかと言いました」。
二人は2ヶ月間別々に暮らした後、心理療法士を訪れた。その訪問で彼らの生活は急展開した。「心理療法士は、道教の善良な信奉者としての最後の試練は、卒業する意志にあることを彼に気づかせたのです。アキはその場で卒業する意志があることを師匠に知らせました。振り返ると、私たちの結婚を前に進ませる一つの決断でした」とリアンさんは思い浮かべる。
「私たちは二人とも完璧主義者です」とリアンさんは二人の共通の性格について説明する。「一緒になることはとてもうっとうしいことですが、一緒に生活することはまぎれもなく楽しいものです」。





