■国際結婚情報
国際結婚情報
愛だけがすべてではない
誠さん&スーさん
「私が小学生のとき、日本の大学生のグループが学校へ来ました」と、オーストラリアの作家で「日本人の外国人妻の会」の会長でもあるスーさんは語る。日本人と初めて会った体験がスーさんに日本語を勉強させるきっかけとなり、それが、1990年にワーキングホリデーを利用しての日本行きを決心させることになる。
最初についた職は、やくざが所有する汚いマネーロンダリング英会話学校だった。スーさんはそこを出てほかの学校へ行こうと、毎日職探しをした。そして、やっと仕事が見つかった。
一方、現在、鉄鋼技術者として働く、彼女の未来の夫となる誠さんは、海外でホームステイをしようか、会員制の英会話学校に入ろうか迷っていたが、結局、英会話学校を選んだ。しかし、最初は全く学校へ行かなかった。そして、会員の期限が切れる一ヶ月前、誠さんはできるだけ多くの授業を受けようと決心した。彼が、自分の将来を共に過ごす人と決めるスーさんと出会ったのは、まさに学校をやめる最後の月だった。
日本に住むことは、二人にとって難しいことだったのだろうか? 「1997年に結婚したときは、『愛がすべて』でした」と、スーさんは説明する。「私たちはもう夢中で、国際結婚は苦労するという人々のアドバイスは必要なかったのです。私たちはそういう人達とは違うとただ信じていました」。しかし、二人の仲が進むにつれ、すべてのカップルが経験する困難にあい、愛がすべてではないということを実感するようになった。「愛、努力、誠実さ、お互いに尊敬すること、愛情からくるすべてのことが必要でした。でも恋愛の始めはそのことをしばしば見過ごしてしまうのです」と、スーさん。
「初めての娘が生まれたころは、私たちにとってとても大変な時期でした。うまくいくのか二人ともわかりませんでした。しかし、お互いに何とかしようとしました。娘のためだけではなく、自分たちのためにもです。そこで、私たちの関係を修復し始めました」。
では、どのようにしたのか? 白衣を着たカウンセラーとのとりとめのないセッション(日本でのカウンセリング事情がまともではなかった頃だった)のあと、二人は自分たちで対処することにした。そして、お互い自分の気持ちをできるだけ正直に話すことでそれを解決した。「それは、結婚生活の深い闇の中の真実を照らす鏡の時代でした。でも、私たちは絆がさらに強くなった夫婦としてやり直せて、とても幸せです」と、スーさんは回想する。
二人の間の問題は、子育てに関しての意見が少し違ったことだと、スーさんは言う。「でも、それは、日本式とかオーストラリア式とかいうことではなく、お互いに感情的になり、物事をはっきりさせようとしたからです。だからお互いが自分の立場に固守し、自分が正しいと言いはったのです。そのときは自分たちがしていることがわかりませんでした。子育ての仕事は本から学べるものではありません。とにかく、問題や困難には、やはり、正直さ、努力、そして十分な話し合いが鍵となります」。
スーさんは国際カップルにアドバイスする。「初心を忘れないこと――誰となぜ結婚したのかを」。





