■国際結婚情報
国際結婚情報
信仰より強い愛
ジョン・スレッジ&石川恭子
恭子さんとジョンさん(アメリカ)が初めて出会ったのは、1999年の9月だった。それは、二人が通っていたアメリカのイリノイ大学MBAプログラムの最後の年だ。「私の彼女への最初の反応は『ワオ、こんなに背の高い日本人女性は見たことがない!』でした」。ある秋の日、ジョンさんは、恭子さんがスキーへ行きたいと言っているのを立ち聞きした。ジョンさんは冬休みに友達とスキーに行くことを決めていたので、一緒に行かないかと恭子さんを誘った。彼女は他のクラスメートも誘うと言ったが、最終的には全員キャンセルし、恭子さんと、ジョンさんとジョンさんの友達だけで5日間のスキーに行くことになった。「旅行が終わる頃、恭子はユニークですばらしい娘だと思いました」と、ジョンは思い浮かべる。
春の学期に大学へ戻ると、お互いへの関心は急速に高まった。しかし、この先いばらな道が待っているとは気づかなかった。冬休みの間、二人は就職の面接を受けていた。そして、二人とも「理想の仕事」に就くことができた――ジョンさんはアメリカで、恭子さんは日本で。「このような状況では、関係を保ち続けるのはむずかしいと二人とも思いました。でも、恭子は続けようと私を説得しました」とジョンさんは説明する。
それで、カップルはどうなったのか? 卒業した2000年の5月、恭子さんはジョンさんを日本へ招いた。日本が初めてのジョンさんは、その申し出を受けた。その夏、恭子さんと彼女の両親は彼を日本中連れ回した。「その夏の終わり、アメリカに戻る時期が迫ってきましたが、二人とも関係を終わらせたくありませんでした」とジョンさん。「私たちは関係を続ける最善の努力をすることにしました」。二人は毎日のe メール、毎週の電話、3~4ヶ月に一度はお互い会いに行った。こうして二年以上も我慢に堪え、お金のやりくりもした。「その後、私たちはどうしても一緒になりたかったのですが、良い方法は見つかりませんでした」とジョンさん。
しかし、運命はしばしば予期しない方向に動く。2002年の春頃、アメリカでITバブルがはじけ、ジョンさんの勤める会社は赤字となり、ある日、CFO はジョンさんの部署の者は全員必要ないと発表した。しかし、悪いことばかりが起こったわけではない。その後すぐに恭子さんはジョンさんを訪れ、ジョンさんは恭子さんにプロポーズした。恭子さんは答えた。「ジョン、あなたの妻になる準備はずっと前からできていたわ」。二人は結婚式をアメリカと日本で挙げた。ジョンさんは2003年1月に日本に引っ越しした。一年間日本語を勉強して、2004年の初め、証券会社の職を得た。
ジョンさんにとっての最大の挑戦は、コロラドでのアメリカ生活から東京の新しい生活に切り替え、それに対応していくことだ。「私はアメリカの田舎で育ったので、東京の生活はいつもチャレンジです」とジョンさん。「特に人混み、小さな家、高い物価、長い通勤時間、長い労働時間など、よく言われる問題に慣れることですね」。
恭子さんが直面した最大の問題は、クリスチャンになる決意をすることだった。恭子こさんは日本で仏教と神道の影響を受けた典型的な日本人の家庭で育った。恭子さんはこう言う。「私が宗教を変えることは、家族を裏切るのではないかと心配しました。でも、キリストを受け入れることにしました。ジョンがキリスト教の力強い証人でもあり、証明でもあるからです」。




