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戦争と平和の中で暮らしたカップル

記事写真多くの国際カップルにとって、彼らが直面する一番大きな挑戦は、言葉と文化の違いを乗り越えることだ。しかし、ドラギッツァさんと剛さんにとっては、砲弾の中で生き延びることだった。近年のヨーロッパ史の中で最も凶暴な時代に起き、恐怖に満ちた地域から逃れてきたのだ。

「私達が初めて会ったのは199l年10月、ロンドンのパーティで、私の日本人の友達の紹介でした。そして私達の最初のデートは数ヵ月後のオランダでした」と、クロアチアからやって来たドラギッツァさんは言う。「私達はおしゃべりをしましたが、彼と結婚するとは思いませんでしたね! 彼は親切で、手紙をくれました。私達は、初めは友達でしたが、少しずつ恋人に変わっていきました」。

旧ユーゴスラビアが戦争をしている間、イギリスに5年間住んだドラギッツァさんは、1995年8月にベオグラードに行った。難民としてクロアチアから逃れた彼女の家族が住んでいたからだ。「剛は手紙を書き続けてくれ、ベオグラードに2回も私に会いに来てくれました。そして1997年5月私達は結婚することを決めました。ささやかな結婚式でしたが、私達はとにかく一緒になれて幸せでした」。

記事写真今は日本で平和に暮らしているが、住む国を決めることはたいへんむずかしいことだった。「日本へは戻らないと剛がいつも言っていたので、私達は1997年から1999年まで旧ユーゴスラビアのベオグラードに住みました」と、ドラギッツァさん。コソボに住むアルバニア人の大量追放に対して、セルビアが爆撃した1999年の5月、剛さんはユーゴスラビアを離れた。

「ミロシェビッチ政権下で政情は厳しくなり、6年前には私達もベオグラードで爆撃されました」と、ドラギッツァさんは回想する。「私達の日本人の友達はそのとき妊娠をしていて、爆撃のあった日に病院で子供を産みましたが、その後すぐに家に帰らなければならなかったのです。ラジオを聞いていたときにサイレンがなり、生まれて2日目の子供といっしょに地下室に隠れていたことを思い出します。その子供は今、言語障害になっています」。

戦争のため日本大使館は、すべての日本人に速やかにこの国から去るよう勧告した。そこで、剛さんとその母子は車でクロアチアへ向かった。「剛は、ベオグラードに戻ってくる予定でしたが、ユーゴスラビアへの入国は不可能でした。それで、剛は日本へ戻りましたが、3ヶ月後に私と息子を連れに戻ってきました」。二人は1999年9月に日本に着いた。

「私は日本が大好きです。ここで平和に暮らせることに感謝しています」。ドラギッツァさんは日本での新しい生活についてこう語る。「日本で暮らすことになったとき、私達には小さな息子の洋輝がいました。初めは剛の家族といっしょに暮らしました。両親は床屋さんで1日中忙しそうでした。私の仕事は、息子の世話と家事でした。日本語の勉強と子育てを同時にすることはたいへんでした。剛は私が日本語を学校で学ぶことを望んでいますが、洋輝がまだ小さいので、家で独学で勉強しました」。

二人の関係の中で良い事は、剛さんが子供達を買物や、幼稚園、公園などに連れていくのが好きな、良い父親であることだとドラギッツァさんは言う。「だけど、彼は子供達におもちゃを与えて甘やかしています。子供達は毎日おもちゃを欲しがるので、私も大変です。おもちゃ屋は私達が住んでいるところからは遠くにあるんです。でも、子供達がいつも私達の人生に光と希望を与えてくれます」。

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