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| アラスカより愛をこめて
「2001年、私はワシントン州のレドモンドにある日系の水産会社で働いていました」とアメリカ・ワシントン州生まれのアンジェラ・ネルソンさん。「9月27日に、私は出張で一週間アラスカの加工工場に行くように言われました。その夜、夕食を食べていましたが、私のテーブルの反対側に座っていたかっこいい日本人男性に釘付けになりました。日本人幹部のテーブルの中で若い男性は彼一人だったので目立っていました。私はすぐに彼に惹かれました」。 次の日、アンジェラさんは同僚の大村さんをお昼に誘った。大村さんは同僚を連れてきた。「私がどんなに驚き喜んだかを想像してみてください。前夜のあのかっこいい男性だったんです。慎哉はアクセントのあるブロークン・イングリッシュで話しましたが、私はほれぼれしました。彼は何度も微笑んだので、彼が私のことを気に入っていることを確信しました」とアンジェラさんは言う。間もなく彼女は、慎哉さんもレドモンドに住んでいることを知った。 アラスカで6日間のロマンチックな日々を過ごした後、アンジェラさんはワシントン州に戻って働かなければならなかった。「私の人生の中で一番長い三週間でした。慎哉への情熱は燃え上がりました」とアンジェラさん。慎哉さんは、レドモンドに戻るや否や、彼女のアパートへ引越した。 出会ってから3ヵ月後、慎哉さんはアンジェラさんとレドモンドからアリゾナへ飛び、彼女の両親の家でクリスマスを祝った。「私の家族のみんなが彼を愛し、今までの中で一番すばらしい男性だと思っているわ」とアンジェラさん。 「最初のうちはEメールでコミュニケーションをとりあいました。慎哉は多くの日本人のように英語を話すことより、読み書きの方が上手です。これは私たちにとって便利でした。それで、何か重要なことを話すときには、Eメールでします。これで、ミスコミュニケーションがかなり減りました」。 しかし、慎哉さんの上司が二人の関係を知ることになり、2002年8月、慎哉さんに帰国するよう命じた。「上司の方は、慎哉の父親が大阪のすし屋チェーンのオーナーで、しかもうちの会社とも関係があるので、二人の関係を怒るだろうと悩んでいたと思います」とアンジェラさんは思い出す。しかし、アンジェラさんは簡単にはあきらめなかった。 「2002年8月、慎哉のお母さんが私に会いに日本からやってきました。そのとき私は日本語を全く話せなかったので、コミュニケーションをとるのがとてもたいへんでした。彼女は私たちの関係を認めませんでした。慎哉のご両親は、将来生まれてくる子供がハーフだから、すし屋のような伝統的な商売を経営する上で、同僚やお客さんに受け入れられ信頼されるか、心配だった一面もあったと思います。でも、今では、とても親切な人だとわかりました。2005年8月、ついに慎哉のお父さんに大阪で会いました。とてもフレンドリーな人に見えました」。 異なる期待感や仕事のスケジュールが、二人が日本で直面する問題だ。「慎哉は働きすぎで、家に帰ってくるのはすごく遅く、だいたい深夜です」とアンジェラさんは嘆く。「彼を尊敬しているし、彼の努力には感心しますが、でも家でもっと私と一緒に過ごして欲しいです」。 「アメリカへちょくちょく戻り、家族に会うことが助けになります。慎哉が朝、日本語学校に送ってくれるので、混んだ地下鉄に乗る必要がありません。ここの人たちは慎哉が私を甘やかしていると言いますが(まさにその通り!)、私がアメリカに住んでいれば、こういったこと、それ以上のことをやってあげることを忘れないで下さい」。 慎哉さんはフィアンセと両親の間の板ばさみになっていると感じるときがあるという。「彼には会社や家族や私の要求をこなすのに大変なプレッシャーがのしかかっています」とアンジェラさん。「彼は非常に献身的ですが、あまり評価されないことがあります」。しかし「慎哉は岩のように固く、変わることがありません」とアンジェラさんは自分のフィアンセについてこう言う。「私は典型的なさそり座のように、感情的で気まぐれなんです。私が何か変わったことをすると、彼は私を落ち着かせてくれます。彼は私の錨なんです」。 |
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