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「私はいつもディスカバリーチャンネルに住んでいるようです」

これは映画で起こることですよね?
1997年の春はマックスさんと有美さんにとって新しい季節の始まり以上のものがあった。二人が最初に会ったのは共に北京の大学二年生のときだった。ピッツバーグ生まれのマックスさんは一目ぼれしたという。「僕は有美をダンスに招待し、現地のナイトスポットへ行きました。そこですばらしい時間を過ごし、閉店まで一緒にいたんです。それからキャンパスに戻ったのですが、互いに別れたくはなかった。僕たちはキャンパスの周りを散歩していましたが、僕は彼女にキスする勇気を駆りたてていました。サッカー場のはずれで、やっと最初のキスをしました」。

二人はデートをはじめ、学期が終わったときには1ヵ月のシルクロードの旅をし、西方の西安、敦煌、カシガルを探索した。北京に戻ると、二人はそれぞれの道に分かれた。マックスさんは論文を書くためにアメリカへ戻らなければならなかった。有美さんは北京で学業を続けた。

「次の学年も二人の関係は続いていましたが、有美は少し冷たくなっていました」とマックスさんは思いだす。春休みの間、有美さんはアメリカにいるマックスさんを訪れた。彼は素早く論文を書き終え、関係を修復するつもりで北京へ戻った。「私の疑いはあたっていたのです。北京に誰か――もう一人のアメリカ人――がいることをつきとめました」とマックスさん。有美さんは混乱していた。彼女が東京に戻ると二人の関係は壊れ、6ヵ月ほど連絡が取れなくなってしまった。

別れが二人で一緒にいるべきことを教えてくれた
「別れには傷つきましたが、僕らの決意と愛が試されたのです」とマックスさんは言う。「有美と僕は他の人とデートをしましたが、僕は他の誰かと一緒にいる度に具合が悪くなりました。僕には有美が必要だったのです」とマックスさん。「それから私達はEメールを再開しました」と有美さんは付け加える。「マックスは仕事を見つけましたが、仕事を始める前に6ヵ月の休暇を取り、北京で再び学ぶ計画を立てました。東京に途中寄港したとき成田空港で彼に会いました。二人とも即座に間違いではなかったことがわかり、やり直す事になったのです」と有美さん。

再び遠距離関係になることを二人は恐れた。マックスさんは2年で日本に戻ることを約束したが、その通り、2001年の9月に東京に飛んで来た。そして二人は一緒になった。最初の障害はマックスさんがビザを持っていないことだったが、結局取得でき、アムウェイ・ジャパンの仕事を得た。

最大の問題は有美さんと暮らすことだと、マックスさんは言う。「彼女はルームメートと住んだことがないので、よくけんかをしました。でも1年半後、家事の分担のリズムができ落ち着きました。早く家に帰った方が買物をして、夕食をつくり、後で帰ったほうが皿洗いをするんです」。

「言葉は僕たちにとって本当にむずかしい点です」と有美さんは語る。デートの始まった数年は中国語でコミュニケーションを取っていたが、今は1週間ごとに日本語と英語を交互に使っている。「それでも、英語の週か日本語の週かが決まらないときにはけんかになってしまいます」と有美さんは笑う。

二人は2003年8月31日にピッツバーグで結婚した。

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